Endymion by John Keats -- in London tube --

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今、ロンドンの地下鉄内にキーツの詩『エンディミオン』の一部がディスプレイされていて、それを目にした日には、ちょっと混んだ車内でも、心の中に透き通った緑の風が吹き抜けるような感覚になる。

映画では、この詩をきっかけとしてキーツとファニーが親密になっていくけれど、詩の冒頭からキーツのネガティブ・ケイパビリティーの哲学が濃く現れていて、すでに自分の死を予告しているかのようなキーツと、映画の中のような二人の美しい時間を重ね合わせて想像すると...泣。

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物語詩「エンディミオン」から

美しいものは 永遠の喜びとなる。
その愛らしさは増し、決して 無と
消え果ることがない。 それのみか われらに
静かな木陰を保たしめ、また 甘美な夢と
健康と 静かな息吹に充ち満ちた眠りを 与えてくれる。

だから 朝がくれば われらを大地に
結びつける 花のきずなを編んでいる。
どんなに失意の時も、気品高い人間性に
欠けるときも、陰鬱な日にも、また
われらが求める道が どんなに不健康で
暗すぎようとも。 そうだ、それでもなお
美しい姿は 暗いさまざまの心から 棺の被衣を
取り払ってくれる。 

太陽や 月や無邪気な羊たちに木陰の恵みを拡げる 
老木や 若木の枝葉もまたそうなのだ。 
羊たちの住んでいる緑の野原に咲く黄水仙も、暑い季節に
涼しい隠れがをあちこちに作る
清らかな流れも、美しい麝香薔薇の花が
見事に咲いた、森の中の茨の藪も そうだ。

またわれらが 偉大な死者に対して想像する
運命の壮大な力も 美しいものである。
われらの見聞した あらゆる甘美な物語も そうなのだ。
空のはてから降り注ぐ 枯れることのない
永遠の酒の泉も またそうなのだ.......

(訳・出口保夫)

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Endymion - John Keats

A THING of beauty is a joy for ever:
Its loveliness increases; it will never
Pass into nothingness; but still will keep
A bower quiet for us, and a sleep
Full of sweet dreams, and health, and quiet breathing.

Therefore, on every morrow, are we wreathing
A flowery band to bind us to the earth,
Spite of despondence, of the inhuman dearth
Of noble natures, of the gloomy days,
Of all the unhealthy and o’er-darkened ways
Made for our searching: yes, in spite of all,
Some shape of beauty moves away the pall

From our dark spirits. Such the sun, the moon,
Trees old and young, sprouting a shady boon
For simple sheep; and such are daffodils
With the green world they live in; and clear rills
That for themselves a cooling covert make
’Gainst the hot season; the mid forest brake,
Rich with a sprinkling of fair musk-rose blooms:

And such too is the grandeur of the dooms
We have imagined for the mighty dead;
All lovely tales that we have heard or read:
An endless fountain of immortal drink,
Pouring unto us from the heaven’s brink........

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ジョン・キーツ 秋に寄せるうた / John Keats To Autumn



ベンの朗読でどうぞ。映像は、実際のキーツの『秋に寄せるうた』の直筆原稿。

* * * * *

秋に寄せるうた

霧と熟れたる豊穣(ほうじょう)の季節よ
恵みあふれる太陽の親しい友だちよ。
葉のひさしに捲(ま)き付いた葡萄(ぶどう)づるには重い房を
どんなに垂れ下げようかと、おまえは太陽と語らいたくらむ

苔むした納屋の古木(こぼく)には林檎(りんご)をたわわに実らせ、
すべての果物をその芯にまで熟れさせようとする、
またひょうたんを膨らまし、そして蜜蜂たちには
遅れ咲きの花をもっともっと開かせようとする。
夏が蜜蜂の巣の蜜房にねばねばと満ちていて、
暖かい日々の終わることがないだろうと思うまで。



誰が収穫のときにしばしばおまえを見かけなかったであろう。
ときおりおまえをあちこち捜したものなら、
おまえが穀倉の床のうえで吹き過ぎる
風に髪をゆるやかになぶらせて、
ただぼんやりと坐っているのを見かけたものだ。

あるいは半ば刈りとられた畝(うね)で
芥子(けし)の匂いに眠気を催し、
いっぽうおまえの鎌は、次の麦株と絡まる
花々を惜しんでぐっすりと寝入っている。
またときおりおまえは落穂(おちぼ)拾いの人のように
花をのせた頭を辛抱づよい目差し(まなざし)で
果物搾りから落ちる



春の歌ごとはどこに行ったのであろう。
ああ、いまはどこに。
そのことを思うてはならぬ、おまえには
おまえの歌がある-

たなびく雲は紅(あか)く沈まんとする夕陽(ゆうひ)に映(は)え、
薔薇色に切株の畑を染めるとき、
ちいさな羽虫のむれはかわやなぎの枝のなかで
かろやかな風が立ちまたやんだりするままに
高く運ばれあるいは低く降りたりしながら
哀しげにうたう、
生長した仔羊(こひつじ)がむこうの丘から啼(な)きつつやってくる。
垣根のこおろぎが鳴く、そしていま菜園に駒鳥が美しいソプラノで囀(さえず)る。
また空には。南に帰る燕のむれが囀っている。

《訳 出口保夫》

* * * * *

この詩はキーツがウィンチェスター滞在の際に、自然の素晴らしさを心から体感し書き上げたものと言われています。また、秋という季節に対し、自分の『人生の秋』と関連させているのでは、という見方もあるようです。

3節目の『春の歌ごとはどこに行ったのであろう。…おまえにはおまえの歌がある-』というのは、何も考えずただひたすら詩作に打ち込むことの出来た、過去の美しい『人生の春』の時間を思い起こしつつ、貧困や病の恐怖の中でもじっと耐え偲びながらも、自分を大いに生かしていこうという決意『ネガティブ・ケイパビリティー』の哲学が現れているという説もあります。

「美しい」と感じること

climbing tree

美は真実、真実は美。
それが、生きる上で知っておくべきことの
すべて。

ジョン・キーツ
『ギリシャの壺に寄す』からの抜粋

* * * * *

Beauty is truth, truth beauty that is all
ye know on earth and all ye need know

John Keats
- Ode on a Grecian Urn, lines 49-50

When I have fears  僕が恐れる時

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