ジョン・キーツ 秋に寄せるうた / John Keats To Autumn



ベンの朗読でどうぞ。映像は、実際のキーツの『秋に寄せるうた』の直筆原稿。

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秋に寄せるうた

霧と熟れたる豊穣(ほうじょう)の季節よ
恵みあふれる太陽の親しい友だちよ。
葉のひさしに捲(ま)き付いた葡萄(ぶどう)づるには重い房を
どんなに垂れ下げようかと、おまえは太陽と語らいたくらむ

苔むした納屋の古木(こぼく)には林檎(りんご)をたわわに実らせ、
すべての果物をその芯にまで熟れさせようとする、
またひょうたんを膨らまし、そして蜜蜂たちには
遅れ咲きの花をもっともっと開かせようとする。
夏が蜜蜂の巣の蜜房にねばねばと満ちていて、
暖かい日々の終わることがないだろうと思うまで。



誰が収穫のときにしばしばおまえを見かけなかったであろう。
ときおりおまえをあちこち捜したものなら、
おまえが穀倉の床のうえで吹き過ぎる
風に髪をゆるやかになぶらせて、
ただぼんやりと坐っているのを見かけたものだ。

あるいは半ば刈りとられた畝(うね)で
芥子(けし)の匂いに眠気を催し、
いっぽうおまえの鎌は、次の麦株と絡まる
花々を惜しんでぐっすりと寝入っている。
またときおりおまえは落穂(おちぼ)拾いの人のように
花をのせた頭を辛抱づよい目差し(まなざし)で
果物搾りから落ちる



春の歌ごとはどこに行ったのであろう。
ああ、いまはどこに。
そのことを思うてはならぬ、おまえには
おまえの歌がある-

たなびく雲は紅(あか)く沈まんとする夕陽(ゆうひ)に映(は)え、
薔薇色に切株の畑を染めるとき、
ちいさな羽虫のむれはかわやなぎの枝のなかで
かろやかな風が立ちまたやんだりするままに
高く運ばれあるいは低く降りたりしながら
哀しげにうたう、
生長した仔羊(こひつじ)がむこうの丘から啼(な)きつつやってくる。
垣根のこおろぎが鳴く、そしていま菜園に駒鳥が美しいソプラノで囀(さえず)る。
また空には。南に帰る燕のむれが囀っている。

《訳 出口保夫》

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この詩はキーツがウィンチェスター滞在の際に、自然の素晴らしさを心から体感し書き上げたものと言われています。また、秋という季節に対し、自分の『人生の秋』と関連させているのでは、という見方もあるようです。

3節目の『春の歌ごとはどこに行ったのであろう。…おまえにはおまえの歌がある-』というのは、何も考えずただひたすら詩作に打ち込むことの出来た、過去の美しい『人生の春』の時間を思い起こしつつ、貧困や病の恐怖の中でもじっと耐え偲びながらも、自分を大いに生かしていこうという決意『ネガティブ・ケイパビリティー』の哲学が現れているという説もあります。

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